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コラム:ダークブルーの由来


京大のスクールカラーがダークブルーに決まった経緯については、以下の2つの伝承がある。

ボート部に伝わる伝承

ボート部によると、大正9年(1920年)に京大東大対校ボート・レースが瀬田川で開催されたときに両校のスクールカラーを決めることになったとのことである。「京都大学端艇部百年誌」(上巻, 1906〜1956)から該当箇所の抜粋を以下に示す。

両校のスクールカラー、京大は夕闇に屹然と建つ比叡山の色

レースに先立って両軍のスクールカラーを決める段になったところ、京大は早くより濃青を取ったが、偶然にも東大が淡青色を取ったので、あたかも英国の剣牛両大学の模倣となったかの感があった。然し、決めた当時の京大は、ただ何の気もなしに、練習を終わって唐橋を渡るとき、夕闇に屹然と立つ大比叡のその荘厳なる色を採用したまでだった。東大はまた、雨の日の練習を終る時、晴れ間に見える空の色、それを取ったとのことだった。

柔道部に伝わる伝承

柔道部OBの丹羽権平氏は、柔道部OBの山沢準三郎氏から直接聞いたエピソードを、「濃青」(1963年発行)掲載の座談会にて以下のように語っている。この説によると、ダークブルーに決まったのは大正15年(1926年)ということになる。

※1: 京大のダーク・ブルーというのはいつ頃できたのか御存じですか。

司会: 大正十五年ですか。

丹羽※2: もう少し早くないですか。

司会: どういういきさつですか。

長: ケンブリッジとオックスフォードのを取ったのや。

藤田※3: くじを引いて。

長: それで向うがライト・プルーでこっちがダーク・ブルー。

丹羽: 結局部の数も出そろったし、一応どの部も東大と京大との定期戦をやろうと言ってやり始めた頃です。しかも旧制高校から東大へ行く人と京大へ行く人と分かれるのだから、東大と京大の間に親睦的な試合を持とうじゃないかということになった。各部バラバラにやっておったのをもとへ戻そうということになって、集まったわけです。
運動週間というて秋に一週間程。二回日ですか、三回日ですか、今上天皇に来て頂いて、その前でカレッジカラーを選ほうじゃないかというて松沢一鶴とうちの柔道の先輩の山沢準二郎先輩とがそこでくじを引いたのです。

司会: 今の濃青地に自のにクロスはいつ頃決まったのですか。

丸川※4: あれは陸上だろう。

丹羽: ラグビーの旗はライオンですね。

藤田: あれはケンブリッジのライオンとオックスフォードのダーク・ブルーを取ったのです。(笑声)


※1: 昭和28〜29年 体育会幹事長 長 靖麿(柔道部)

※2: 昭和33年 体育会幹事長 丹羽 権平(柔道部)

※3: 昭和30年 体育会幹事長 藤田 秀昭(ラグビー部)

※4: 昭和26〜27年 運動部協議会幹事長 丸川 泰生(剣道部)